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しがないオタクの戯言

嵐と私。私と嵐。

【注意】ありえん長いです。文体と内容が気持ち悪いです。それでもよろしければ。

 

生まれる前から知っていたような 安らぐ君と不意に出逢った。

 

2011年冬。

 

ハマるには遅すぎた。

その後悔はこの先何年経っても消えることはないだろう。現在20代前半の世代ではあるあるであろう5×10~風景頃の「みんな嵐好き」の時代を嵐ファンとして私は知らない。

 

この年の夏頃、当時大好きだった番組がなくなった私はどこか楽しみを失っていた。かといって今のように毎日絶望で泣くくらい辛かったわけでもなく。ただ熱中するものを失って虚の状態だったと記憶している。

たまたま見ていた謎ディ、紅白、翌年のVS嵐新春SP。正直なにが決め手だったのかは全く覚えていない。なぜ見ようと思ったのかも覚えていない。それが気が付けば、毎週番組を録画し、本屋で雑誌を漁り、情報をチェックするようになっていた。

 

当時中学生だった私は、物事を斜め上から見るような冷めた子どもで。中学生らしい夢や希望もなくて、将来なんのためになるのかも分からない勉強をやらされていることに飽き飽きしていた。

そんなませガキの私は、櫻井翔さんの志の高さを知ってものすごい衝撃をうけることになる。この人はすごい。めちゃくちゃすごい。何がどうすごいのかは周知の事実であるため省略するが、子供ながらにそのすごさは痛いほど伝わってきていた。

ここで「推しになりたい」タイプのオタクである私は、あろうことかこの「めちゃくちゃすごい人」になりたいと思ってしまったのだ。ここから櫻井翔になりたい私の人生がスタートする。

 

同じ部活で嵐の話ができる大野担の友人にも恵まれ、順調に嵐の知識を増やした私はその後一応学区内で一番偏差値の高いといわれていた高校、学科に進学した。

「翔さんに近づくにはこんな田舎の学区内での進学で妥協してはならないと思ったから。」という超ハイパー単純な理由である。今となるとちょっと面白いので笑ってほしいのだが、当時の私は至って真剣だった。(私が受験勉強にかなり苦戦し、親は諦めてもいいと言ってきたのに私がかなりの剣幕で諦めないと突っぱねたものだから、親はかなり驚いた顔をしていたのを今でも覚えている。)

 

 

そんなこんなで行った先。まあ言ってしまえばこの高校が私にとって地獄だった。

なにが地獄だったのか話すと一生終わらないし、この話の趣旨から外れるので割愛するが、世の中のありとあらゆる理不尽を詰め込んだみたいな世界で私は余計に人生に絶望することになる。

しかし悪いことばかりではなかった。この高校で私は一緒に嵐ファンとしての人生を駆け抜けてくれる友人との出会いを果たす。

彼女は二宮担だったが、偶然にもファンになった時期が私とほぼ同時期だったのだ。毎日二人で嵐の話をして、昔の知らない番組や見たことないものを競い合うように発掘して送りあった。それはもう時間を忘れるくらい夢中だった。同時期にハマったからこそより話が進んだし、その結果二人ともより沼に浸かっていくことになる。これが全然ハマった時期が異なっていたら、こうはなっていなかったと私は思っている。

 

とにかく絶望の高校生活の中で「学校に行って嵐の話をする」ことだけが生きる楽しみだった。彼女とはクラスが違ったので、ずっと廊下で喋っていたらよく色んな人に怒られた。

「あいつは嵐の話してる時だけ、楽しそう。」いつしか周囲からそう思われるようになり、私は嵐ファンの人として定着することになる。

普通の人が送る楽しい高校生活、いわゆる青春みたいなものは私には1mmも存在しなかったが、嵐だけは間違いなく私の「青春」であった。

 

だが、いくら嵐の話が楽しいといえど、そんな地獄生活を送っていてもちろん精神状態がいいはずもなく、本気で学校をやめたいと思ったこともあれば、本気で死にたいと思ったこともあった。毎日夜中まで泣きながら勉強するのが当たり前だった。

 

全部投げ出したくなった時は、大野さんの「今、目の前にあることを頑張れないやつが、何を頑張れるんだ」という言葉を思い出した。

もうちょっとだけ頑張ろうと思えた。

 

絶望に打ちひしがれそうになった時は、翔さんが17歳の自分に向けて書いた手紙の一文を思い出した。

「無理しないでね。」

人は言うかもしれません。

死ぬほど無理して下さい。

別に死にゃしないから。

どんなに嫌なことも死ぬ気でやってやろうと思った。死んだら死んだでその時はその時だ、と。

 

2014年年明け。たまたま模試で良い点数をとり、念願のFCに入会。この年のデジが私にとって初めての嵐のライブになった。

だが高校時代毎冬になると体調を崩して、精神状態も崩壊していた私はこの年も例によって最悪の状態で。

苦しすぎてとりあえず1回本当に死のうかと思った日があった。その時、涙でかすむ視界のなか見えたのがチケットの入ったあの青い封筒だった。

「あぁ…嵐に会いたいな」

その感情に突き動かされて、私はこの場でなんとか思いとどまることができた。

 

ライブ初参戦、初嵐を達成したこれと同時期にまた一種のターニングポイントを迎えることになる。

2014年12月14日「NNN衆院選特別番組 ZERO×選挙2014」

札幌ドームでのライブを終えた翔さんがそのまま東京に直行したために、出演時間がかなり夜遅くになった回だ。

仮眠を一度とってから出演時間を待ち続けたが、私の住んでいた関西地方では翔さんの出演シーンが放送されることはほとんどなかった。

関西住みのファンにとってはもはや選挙特番あるあるお約束だと思うのだが、まあローカルの壁に阻まれてまともに放送が見れない。メインの企画やインタビューすら放送してもらえないことだってある。

 

同じくローカルの壁で見れない朝のワイドショーも多く、全てを記録し残しておきたい主義だった私はこの日とうとうプツンと糸が切れてしまった。

「絶対に上京してやる」

この日そう強く誓った私は、関東圏の大学への進学を目指して猛勉強をはじめた。

つまりローカル番組のせいで東京の本放送が見れなくてムカついたから、東京の大学に行くことにしたのだ。あまりに思考が短絡的で阿呆すぎてまじで笑ってほしい。

でもこのまま田舎に住み続けて番組が見れない、ドームが遠い、番協やイベントに参加できないと嘆き続けるより、大学進学という至極全うな手段をもって上京してしまったほうが早いと思ったのは事実で、この判断は間違っていなかったと今でも思う。

 

そして来る2016年春。

私は敬愛してやまない人と同じ学び舎に歩を進めることになる。

 

この頃、普通の友達付き合いの概念をもう失っていた私は上手く友達をつくることが出来なかったがそれでも同じ嵐が好きということで仲良くしてくれる人がいた。構内でグッズを持っていたら嵐好きなの〜?私も!と話しかけてくれる人がいた。

卒業した今でも、連絡を取り合って話せる仲間が出来たことは非常に有り難いことである。

 

それに加えて大学入学頃初めてTwitterで嵐垢をつくる。これが私の人生をまた1つ大きく変える出会いをつくることになる。

 

嵐垢で繋がった友人たちとジャニショに行って、デスマッチのお店に行って、嵐の広告を見に行って、カラオケ行って、入らないのにツアーの時期になったら毎日のようにドームに行って騒いで………

 

 

私が高校の時に出来なかったこと、憧れていたことが全部できた。夢が叶った。

 

それはそれは楽しくて、時間を忘れた。私の大学生活4年間は、オタク活動とその資金を得るバイトでほとんど全てを占められ、ここでも大学生らしい生活を送ることは出来なかったがそれでもよかった。

 

嵐がいなかったら絶対に出会うことのなかった人たち。嵐が結びつけてくれた素敵な縁。

 

それぞれ学校を卒業、就職するうちに会う機会こそ少なくなってしまったが、そこに行けば必ず話を聞いてくれる人がいる。私にとって大切な「居場所」「帰るべき場所」であることに今も変わりない。

 

2020年春。コロナ禍の就職。

嵐のライブやその他私が趣味で通っていたライブ、イベントが全て中止。生きがいを失うなかで、決して諦めることなく常に可能性を模索し続け、新たな挑戦をしていく嵐の姿にまた背中を押された。

「信じることがすべて 明けない夜はない」

 「今から始めてみればいいじゃない?」

「夢だけ持ったっていいでしょ?」

嵐の曲に励まされ、勇気をもらった人がどれくらいいたのだろうか。

 

 

あの時、嵐に出逢わなかったら。

私は強い意志をもって勉学に励むこともなければ、上京することもなく今でも田舎で暮らしていただろう。それはそれはつまらない人生になっていたに違いない。

 

辛い時、苦しい時、もう無理だと思った時。

暗闇の中から私を救い出し、進むべき道をそっと照らしてくれたのはいつも嵐だった。

5人の言葉が、行動が、姿勢が、私を強くさせた。挫けそうな時にもう一度立ち上がるキッカケをくれた。

 

今も人生に特に希望を見い出せないままいる私にとっては、嵐の夢が自分の夢であった。嵐が大業を成し遂げ、記録をつくり、また人の記憶に残るたび、自分のことより遥かに嬉しかったしファンでいられることを誇りに思った。

 

嵐のファンになろうと思った日は2012年1月3日だと記憶しているため、私のファン歴は明日で満9年、10年目に突入する。

周りの人と比べればすごく短いことは分かっている。いくら昔のことを後から知ったとしても、その当時をリアルタイムで感じてきた人には一生及ばない。オタクだからその辺は痛いくらい分かっている。

だが、長々と述べてきた通り、私が嵐と過ごしてきた時間は極めて濃密なもので、私の想いが生半可なものではないことはご理解いただきたい。まあそれもこれも20数年の人生において実生活に生きがいを一度も見出すことの出来なかったオタクの成れの果てに過ぎないのだが。

 

「もっと早くファンになっておけばよかった」

オタクなら誰しも一度は言ったことがあるのではないかと思うくらい耳馴染みあるこの言葉。

私もいつも感じていることだ。

2020年も振り返られる嵐の番組を見る度、その半分以上をリアルタイムで過ごす事が出来なかったことに大きな劣等感と悔しさを感じ続けた。素直に懐かしがって泣くことができなかった。

時間は巻き戻すことができない。だからこそ今は半分以下でも、徐々に3分の2、いつか4分の3って同じ時をゆっくり重ねていきたいと思っていた。

その時計の針が一旦止まってしまったことはもうショック、絶望としか言いようがない。

だが、短くとも一緒に時を重ねた時間は本物で決して消えることはない。その事実は今確実に私を強くさせている。

それに時計は壊れてしまったわけでない。止まった針は、また動き出すかもしれない。

そう、大好きな大切なあの曲のイントロのように。

 

夢の世界へのいざないを知らせるあの素敵な音色を、今はただひたすらに、願いそして待ち続けたい。