とにかくアラフェスの話がしたい
とにかくアラフェスの話がしたい。
アラフェスの話がしたい。
誰も聞いてなくても、誰も相手にしてくれなくても、1日中アラフェスの話がしたい。
ということで独り言をとめどなく脈絡もなく、綴っていこうと思う。開いてしまった方はしばしお付き合いを。
※この記事はアラフェス本体のセトリ並びに演出、個々のパフォーマンスを語るものではありません。悪しからず。
アラフェス2020 at 国立競技場
嵐とファンによるお祭り。
記念すべきCDデビュー日である11月3日はまさに嵐一色の日になった。
私も朝から新聞を買い込み、嵐関連のトレンドで賑わうTwitterを1日中眺め、泣いて笑って・・・一生忘れられない11月3日を過ごすことができた。
ちょうど1年前の2019年11月3日。SNS、デジタルシングル、サブスク、北京、国立…情報をこれでもかというくらい解禁し、まさに世界中に嵐を巻き起こすぞと。その熱をリアルタイムで共有していることに興奮と鳥肌が止まらなかったあの日。
あの頃からは全く想像できなかった未来。
Part1が始まってすぐに映った引きの画で、分かってはいた、分かってはいたもののそこに誰もいないことにどうしようもない気持ちが込み上げてきた。物わかりの悪い私はその現実をまだ受け入れることができなかったし、受け入れたくもなかった。
笑顔のファンたちで埋め尽くされるはずだった客席。自分をはじめ、そこに居合わせたくて仕方のなかった人は星の数ほどいたというのに。
皆で行けるはずだったまだ見ぬ夢の世界のことを日々想い、刻々と過ぎていく時に勝手に焦り続けていた。街行く人の装いが秋になり、冬に近づき、朝外に出ると澄んだ空気が冷たくて。
耐えられなかった。冬を迎えることを体が完全に拒否していた。
先週はイルミネーションを見て、心が凍えそうだった。街にクリスマスソングなんて流れた暁には発狂してしまうんじゃないかって。
11月3日はすごく楽しみにしていたが、始まれば終わってしまう。この日が終わったら私はどうしたらいいんだろう。意志とは無関係に、不条理にも進んでいく時を憎みながら、寒さを恨みながら、心を殺して嗚咽をこらえて生きていくんだろうか?
そんな一抹の不安を抱きながら、迎えた配信。
結論からいうとPart1の冒頭で感じた絶望は、すぐに払拭されその後二度と私の前に現れることはなかった。
陳腐でありふれた言葉かもしれないが、
嵐はやはり最高のエンターテイナーだった。
彼らは無観客だからこそできることをやり尽くし、そのアドバンテージを最大限に利用していた。
(見ました…?インサマの海とか、Sugar前とa Day RebornのARとか…あれは現実?夢では??)
だが、その一方で無観客を悲しく感じさせる瞬間を最小限に抑えていた。
客席一面を隙間なく埋め尽くす7万本超のペンライト。
設置するの大変だっただろうな…スタッフさんにまじでっかい感謝。言ってくれれば私も手伝いに行ったのに(笑)
大野さんは「ファンの子がじっとしているみたい」と喩えていた。そこにファンたちを見ていてくれたこと、本当に嬉しかった。
いつものように私たちに声をかけ、C&Rをし…。たとえ映像の中では返ってくる声がなかったとしても、画面の前の我々がそれに応えればなんの問題もなかったし、嵐も時間と場所を越えて返ってくるはずの声を信じて疑っていなかった。(と思う)
実際に当日生放送で我々の声を沢山拾って、返してくれたことで更にその掛け合いを感じさせてくれた。本当に抜かりない。5人がめちゃめちゃ楽しそうなのがまた更に良かった。最高。
とにかく私がそこに見たのは「いつも通りの嵐」、「いつも通りの嵐のライブ」で。
配信になったことで何かが変わってしまうのではないか。どこか違和感を感じて、微妙な気持ちになってしまうのではないか。
そんな漠然とした不安はどこかに吹っ飛んで、あっという間に嵐のエンタメの世界、夢の世界に前のめりになりながら引き込まれていった。
あと無観客だからこそ出来た、逆に良かったなという新しい発見(?)
広い国立競技場の端から端まで散り散りになる必要がなかった今回。嵐五人が同じカメラの画角に入るくらいひとつにまとまって動くことが多くて、これは普通のライブではないことだなと感じた。
これは実は5×20の時にも同じことを感じていて。Step and Goで広い広いドームの中、ムビステの上で五人で肩を寄せ合う姿。アンコールのHappinessで五人そろって花道を一周するシーン。翔さんの言葉を借りるとするなら、”5×20の5”のほうをどれだけ大切にしているかをそのまま体現しているようで胸が熱くなったのをよく覚えている。
そんな新しい良さも発見でき、私はアラフェスをすごく前向きな気持ちで見ることができた。始まる前は涙でびしょびしょでまともに見れないかと思っていたが、気が付けば笑顔になっていた。
嵐はきっと人を笑顔にする魔法使いだ。
無観客ライブを見た後に、「良かったけど、やっぱり現地で見たかったね」「直接声を届けたかったね」と口にするのはごく自然なことだと思う。ライブにおける”現地”に勝る経験って、やはりないに等しいから。
しかしアラフェスを見た後は不思議とそんな台詞を言う気にならなかった。
嵐がこの一年間ずっと。こんな状況下でも、ファンに届けられるものはなにか誠心誠意、一生懸命考え、それを形にしてきてくれたこと。
その一つ一つの蓄積がこの気持ちにあらわれているのだろうなと思った。
そんなことより、どんな形であれ再び「国立競技場」という舞台に、しかも「新国立競技場でライブした初のアーティスト」として嵐が立っていることに何より喜び、感動し、そして誇りを感じていた。
今回要所要所から嵐にとって「国立競技場」がどれほど大切な場所なのか改めて感じ取れた。Voyageを含め、あの場所にどれだけ強いこだわりがあるのか痛いほど伝わってきた。
以下、Voyageのネタバレを含みます。
広い国立競技場を使用してライブをするには、それ相応のスタッフ数が必要。無観客が決定した今、国立にこだわらなくてもいいのではないか?といった声に翔さんのわがままともとれる「やりたいなあ」のひとこと。自らの立場と発言の重さを考え、何重にも思考を巡らせてから言葉を世に発しているであろう櫻井翔の口から出た、心情に直結した言葉だったからこそ心臓をぎゅっと握られた気分になった。
コロナ禍になってから、一つ一つの判断が今までよりいっそうコンテンツの未来を左右するようになった。もしなにかあってからでは遅い。敏感さを増した人の悪意の元に、あることないこと書き立てられ、面白可笑しく晒上げられる。
そんな中、嵐という日本最大級のコンテンツがそれでも「国立競技場でライブを行う」という決定を下すまでにどれだけの悩みや苦しみ、迷いがあったのか…Voyageを見てもなお、我々がそのすべてに触れることは決してできないだろう。
医学的に?世間の目から見て?果たしてどうだったのかは、私には分からない。だが、嵐の一ファンである私は、この大きな決断に敬意と感謝の意を示したい。私を含め、日本中の人が明日もまた前を向いて生きようと思える、そんな勇気や希望をこの日もらった。我慢や不安だらけの日々のなか、これがどれだけ大きな意味を成しているか分かるだろうか?
今日もテレビで言っちゃってる 悲惨な時代だって言っちゃてる
僕らはいつも探してる でっかい愛とか希望探してる
Everyday! Everybody! まだまだ世界は終わらない
いまから始めてみればいいじゃない
同日に大々的に広告が打ち出されたHELLO NEW DREAM PROJECTでも歌われるデビュー曲の歌詞。この歌詞が今年どれだけの人の心に刺さったのだろう?と考えることが何度かあった。
21年経った今でも色あせることのないメッセージ。
みんなを勇気づける歌。パフォーマンス。
嵐は今日も人々に夢を与えている。
Part2カイト前のVTRで大野さんが語っていた言葉がすごく印象に残っている。
未来は流れていく時間の先じゃなく、
前に進もうとする意志の先にあると
信じているから。
現在の状況に甘んじることなく、決して驕り高ぶることもなく、常に前を見て進んできたチーム嵐の活動そのものを表している言葉だと感じた。
私たちもまた悲観的になるのではなく、前に進もうとする意志を、強い気持ちを、願いを。言葉にして行動にして示していかなければと感じさせてくれる。
記念すべき11月3日はそんな一日だった。
アラフェスが終わってしまったら…?あと二ヶ月を鬱々と生きなければならないのか…?なんて冒頭でつらつらと書いていたが。
アラフェスを終えた今はこう思う。嵐が届けてくれるもの全部全部受け取って、走り抜けなきゃもったいない!鬱になってる暇なんてない!我々が勝手に鬱になっててどうするんだ!
街のクリスマスツリーもイルミネーションもまだ笑顔で見ることはできそうもないけど。I Can't Wait for Christmasを聴きながら迎えるクリスマスも悪くないかもしれない。
ご本人たちも放送の最後辺りで言っていた。
まだ二ヶ月ある。
あと二ヶ月じゃなくて、まだ二ヶ月。時間もできることもまだ沢山ある。
俯いてちゃいられない。